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みんなのやきとりエッセイ
旅の宿で
■柴田遼壱
ある温泉宿
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 また旅に出た。四国から和歌山へと辿った。旅程の都合でしかたなく淡路島の温泉ホテルに宿泊した。部屋が海に望んでいて気持ちのいい部屋だった。食事は温泉ホテルとしては過不足のない和食のコース料理で、常識的だが正直な料理だった。いい料理人がいる。
ただ、仲居さんのサービスはいただけなかった。次々に料理を運んでくるのはいいが、下げものと出し物を一緒に片付けるのだ。大きなお盆の上に他人の食べさしと新しい料理が一緒に乗っているのはなんとも興ざめなものだ。仲居さんたちが愛想良く感じがいいだけに、このサービスを思いついた経営者は罪なものだと思った。
 淡路島は架橋が通ってから、観光も通過点となってしまった。それは本四の架橋が通った島の観光地全てにいえることだ。どこも留まる旅人は少なくなった。四国に入るたびにいつもそのことを残念に思う。
このホテルも昔は盛んだったに違いない。その証拠に建て増しに次ぐ建て増しで館内は迷路になっている。温泉もやれサウナ、やれ露天と時代の欲求に合わせて施設を増やしている。しかし大浴場は内部温度が高すぎるためにサウナ状態。長湯なんかできるものではない。一事が万事いつの間にか客不在になってしまっているのだ。前述したサービスも時間の短縮と人件費圧縮。風呂も同じでいつしか日常化した間違った温度管理。


「客の生理」を忘れたサービス

 大事なのは「お客の生理」だ。自らの「生理」を祖末にし、「脳」で作ったマニュアルを金科玉条とした末路の姿だ。 「生理」を回復するにはぜい肉をそぎ落としていくしかない。長年しみついた垢を自分たちで落としていくしかない。そこで初めて何が必要かが「生理」で理解できるはずなのだ。
だからといってその旅館に文句をいうつもりはない。 このような光景は日本中いまやどこにでもころがっている。国道沿いを走ってごらん。いきつくところまでいった残骸がここあそこに放置されている。死に瀕したものを鞭打つ「生理」は日本人にはないのだ。

千年を耐える「サービス」

 和歌山に入って高野山に上る。朝から降り続いたという真っ白な雪が高野山を覆っていた。静かな音というものがあるなあと、眼前の静寂に感動する。なじみの宿坊(寺)に入る。高野山に宿屋はない。このお山を訪れた人は約150ある宿坊のどこかに泊まる。宿坊は祈りの場であり、修行の場であり、憩いの場でもある。心の行き届いた若いお坊さんのご接待を受けることができる。ここには千年を超えた揺るぎない「サービス」の神髄がある。近代以降のサービスマニュアルなんて珍けなものだ。高野山にしてみれば客の生理ではない、ただ人としての生理を忘れていないだけなのかも知れない。

(2005/05/02)

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