かつての今治には、四天王と呼ばれる鉄板焼鳥の店があった。「五味鳥」「八味鳥」「鳥林」「無味」というのがその四天王。
現在、「五味鳥」はそのままに営業しているが、「八味鳥」は大将が身体を悪くして店を閉め、「鳥林」は二代目となり、「無味」は松山へと移ったため「世渡」がその味を引き継いでいる。
四天王の座を狙っていた繁盛店に「H鳥」という焼鳥屋があった。「五味鳥」と小道をはさんで三・四軒向こうにあり、元気なおばちゃんが切り盛りしていた。焼鳥のタレは醤油が強く、妙にはっきりした味だった。カウンターだけの五・六坪の店の片隅には、30歳に足を踏み入れたくらいにみえる息子さんがぶっきらぼうに鳥を焼いていた。
ところが、店が急になくなった。噂によると、息子さんが野球賭博に手を出して、大きな借金をしたため、店を閉めざるを得なかったという。
今から二・三十年ほど昔、今治は、ヤクザ渡世に命を賭ける人たちの多い街だった。
飯干晃一著『仁義なき戦い』にも今治の名前が出てくる。 広島や松山から一・二時間ほどの距離にあり、その稼業の人たちが気軽に訪れることができる「渡世人のリハビリの場」だ。
また、近鉄がキャンプを張っていたこともあり、野球ファンも多く、野球賭博が盛んだった。
「H鳥」の息子さんは、この野球賭博に引っかかった。最初は勝つように仕向け、賭博の楽しみがわかるようになると、大きな額を賭けさせるのが賭博の作法だ。最初に得た小額の勝ち金はどこかへ消えていく。負けがこんでくると、負けを取り戻そうと大きく賭けてくるのを狙うのだ。熱くなったら賭けごとは負けてしまう。野球博打は、ハンディと呼ばれる特殊な勝ち負けの査定があり、結局、胴元が勝つようにできているのだ。
流行っている店が、急に閉店するのはほとんどが賭けの損害によるもの。
今となっては、「H鳥」の名が話に登場することもなくなった。 |