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やきとりコラム
第1話 北九州ロックの聖地 高塔山伝説
その1
1971年オレが中学1年の時、ラジオから流れる洋楽を聴いて…。そう、まるであの映画「ブルース・ブラザーズ」のワンシーンのようなトリハダ体験をした。このグラムロックの雄「モット・ザ・フープル」♪すべての若き野郎ども♪からオレのロックな人生はスタートした。クロスFM番組『Dobbのロック塾』オープニング・テーマであるこの曲には、当時の思い入れがたっぷりと詰まっている。そこからビートルズやストーンズへとさかのぼり、多くのミュージシャン達と出会う事で今の自分が成り立っている。

バンド活動を開始するのに、たいして時間はかからなかった。友達と競うようにレコードを買い漁ったあげく、白い?フォークギターまで手にしたオレの影響で、2つ違いの弟HIDEもすぐに飛びついた。近所の仲間とともに「NEW DOBB」(後にメジャーデビュー)結成。当時はリハーサル・スタジオなんてものは皆無で、しょうがなく自宅の2階が練習場。当時親父が1階をオフィスとして使用していた事もあり、当然の事ながら苦情とともに追い出され(今思うと、よくあの爆音の中で電話応対していたもんだ…)、自宅から徒歩20分、オレの記憶では当時の使用料1時間100円?(とにかく激安!)の高塔山音楽堂に機材を持ち込み、大音量の陶酔感に浸った記憶は今でも鮮明だ。これまたまさに映画「青春デンデケ・デケ・デケ」での合宿シーンのような状況…。そこであるバンドと知り合う事となる。隣中学出身の高校生グループ「薔薇族」(後に人間倶楽部→ルースターズ)の連中だ。「北九州ロックの聖地」若松高塔山伝説はここからスタートする。
その2
「薔薇族」のVo.エロは、正真正銘のロッカーだった。私生活も含めて最初に出会った天才といってもいい。絞り出すようなヴォイスは、18歳ですでに完成されたものだった。そんなエロのバックを努めていたのがDr.池畑潤二、G.の大江慎也。そう、エロはあの「ルースターズ」を語るうえでかかせない程、重要な奴だった。奴らとはバンドぐるみでよく遊んだ。お互いライバル心むき出しかと思えば、一緒に1日中、Dobb家の平らな屋根の上で寝っころがってロックを語ったり、おぼえたての麻雀で卓を囲んだり、今考えるとほんと羨ましいくらいの時間があったものだ。

奴らはオレたちよりも前から高塔山の常連で、ふもとの民家に一升瓶を手みやげで機材の保管をお願いして、ほとんど毎日学校をさぼって練習していた。これがクラブ活動なら皆勤賞もの。まさに映画「スクール・オブ・ロック」。不登校問題にも一石といった感じだ。ほんとセミの鳴く暑い夏も、小雪舞う凍えるような冬の日も…。その、うらやましいくらいの情熱がオレ達を存分に刺激し、ロックの原動力となった。思い切りお互いを高めあっていた気がする。そんなある日、機材を運ぶ車の都合がつかない事があった。ちょうど遊びに来ていた池畑が、当時乗っていたサイドカー付きのバイク(サイド・カー付きバイク…今思うととんでもない18才だ。ちなみに彼は風貌も含めて、40を過ぎた今と全く違わない…)、オレはそのサイドカーに重いアンプを抱えたまま、山道を疾走された記憶がある。アンプの重みで、すごいGがかかって…恐怖の体験だった事はいうまでもない。若いってホント素晴らしい(笑)
その3
薔薇族」エロはまた、そのVo.としての力量と同時に、とにかく人を見る才能があった。当時はロック初心者で、ただのチンピラだった「G10」のVo.南浩二(後の人間倶楽部Vo.)や天然ビートを叩き出すDr.ナーチン(後にルースターズ加入)に注目したのも奴だったし、HIDEのギタリストとしての才能にもいち早く気づき、メンバーに誘った事も彼の才覚。そして、HIDEと共に1977年門司文化会館であの「サンハウス」と共演した事は、北九州ロックの重要な事件。若き日の井上富夫(ルースターズ B.)や「ブルートニック・ザ・ガーデン」の井嶋、後にシナロケへ加入した東川兄に「アップビート」の東川弟、Vo.の広石や「U.A」のプロデューサーとして、今をときめく朝本浩文らが客席にいた事実。たしかに重要なコンサートだった。そして終演後のさびれた門司駅で若松行きの電車に偶然乗り合わせたある男との出会い。彼の名は鮎川誠。そう何よりの事件は、彼がシーナ&ザ・ロケッツ結成前に、若松生まれのシーナとこの街に住んでいると知った事。その後、しょっちゅうシーナ&鮎川邸へ遊びに行ってはレコードを借りたり、愛用のギター、ブラック・ビューティ(黒のレス・ポール)を触らしてもらったりと、いろんな意味でロックを教えてもらった恩師である。

それまでのオレ達は、レコードにスプレーをかけ、ベースやギターは暇さえあれば磨きあげる。愛器をピカピカに保つ事で、まるで偶像崇拝にも似た感覚で気持ちを高めていた。鮎川さんのキズだらけで年季の入ったギターこそロックでかっこよく、素手でペタペタ、ビニール袋なんか入っていない輸入盤レコードのノイズこそロック。そう思えた事は、鮎川さんの第一印象とともに、オレたちが勝手に教わったロックそのものだった。それ以降、楽器を磨かくのをやめた事はいうまでもない…。オレの愛器「ギブソン・サンダーバードUSA200年建国モデル」が今でもイイ音を奏でるのは、長年、手荒く鍛えあげたおかげだ…いや、おかげかも…? まぁ、いずれにしても過保護に育てた楽器は人と同じで、ロックな感じには育ってくれないものだ。ここが重要、ロックから学んだオレの人生哲学だ。

…つづく
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